日本軍がなぜこれほど壊滅的な損害を被るに至ったのか。防衛庁防衛研究所の史料分析や組織論的見地からは、明確な3つの構造的欠陥が浮かび上がってきます。
1. 敵戦力の過小評価と「逐次投入」という戦術的禁忌
大本営およびラバウルの第17軍司令部は、米軍の兵力を当初「わずか2,000名前後」と推測していました。実際には1万人を超える米海兵隊が重火器陣地を構築していたにもかかわらず、日本軍は精鋭と過信した一木支隊(約900名)を単独突入させ、全滅させました。その後も敵兵力を正確に把握しないまま、川口支隊(約4,000名)、第2師団主力(約20,000名)と小出しに兵力を注ぎ込む「兵力の逐次投入」を繰り返しました。
2. 白兵精神主義と近代火力戦の決定的なギャップ
日露戦争以来の成功体験から抜け出せなかった軍上層部は、「夜襲と銃剣突撃による肉弾戦を行えば米兵は恐慌をきたして逃走する」という思い込みに囚われていました。しかし米軍は、夜間暗視装置、レーダー連動の正確無比な集中砲火、鉄条網と機関銃座を立体的に組み合わせた近代防衛陣地を構築。闇夜のジャングルから突撃する日本兵は、姿を捉えられる前に火砲と弾幕の餌食となりました。
3. 辻政信作戦参謀の強硬路線と参謀本部の無責任体制
現場に派遣された大本営作戦参謀・辻政信中佐をはじめとする指導層は、兵站の実現可能性を無視した強引な作戦計画を推進しました。ジャングルの峻険な地形調査を行わないまま机上の地図に直線を引いて行軍を命じ、現場指揮官が補給難や地形の困難を具申しても「士気不足」「精神力で打開せよ」と退ける空気が蔓延。客観的データや論理的批判を封殺する組織の閉塞性が、惨劇を加速させました。