作品を鑑賞した多くの人々を惹きつけて離さないのが、物語の舞台となる「猫の国」に漂う奇妙な薄気味悪さです。SNSや映画考察コミュニティでは「猫の国は現世を捨てた者たちが集まる他界(冥界)のメタファーである」という説が根強く支持されてきました。劇中で描かれる猫の国は、昼夜の区別が曖昧で、労働の義務もなく、魚が空から降ってくるような享楽的なユートピアとして描かれます。しかし、その甘美な誘惑の裏側には、背筋を凍らせる残酷なルールが潜んでいます。
スタジオジブリの公式パンフレットや当時の森田監督の言及によると、猫の国とは「自分の時間を生きることを放棄した者が迷い込む場所」として設計されています。高校生活に漠然とした退屈や息苦しさを感じていた女子高生・吉岡ハルは、助けた黒猫・ルーン王子の恩返しとして強引に猫の国へ招待されますが、そこで提供される快楽に身を委ね、「このまま猫になって暮らすのも悪くないかも」と自分の主体性を手放した瞬間、彼女の身体には猫の耳とヒゲが生え始めました。
猫の国の住人たちは、一見すると無邪気で楽しげですが、国王である「猫王(みょうおう)」の絶対的な専制君主制下に置かれ、個人の意思や抗弁は一切許されません。城の迷宮や塔の頂上に張り巡らされたトラップ、意に沿わない婚姻を武力で強行しようとする王の狂気は、まさに「自我の完全な剥奪」を意味しています。作中でバロンがハルに対して放つ「ダメだハル、自分を見失うんじゃない!」「君は君の時間を生きるんだ」という叱咤は、現実逃避の果てに社会的な死を迎えることへの痛烈な警告に他なりません。猫の国が崩壊する際、虚飾の城が瓦解して青空が広がる描写は、モラトリアムの幻想が砕け散り、過酷ながらも愛おしい現実へと回帰するプロセスを鮮烈に視覚化しています。