テレビで見せる華やかなセレブリティのオーラからは想像もつきませんが、本名根本七保子の生い立ちは決して恵まれたものではありませんでした。1940年(昭和15年)に生まれた彼女は、第二次世界大戦の空襲を生き延びたものの、戦後の極度の貧困を経験しています。
大工の父が怪我で働けなくなり、家庭の財政は困窮を極めました。デヴィ夫人は中学校を卒業後、病弱な母と将来有望な最愛の弟・八曾男(やすお)氏を養うため、「1日も早く働いて家計を支えたい」と決意します。昼は大手生命保険会社・千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に15歳で就職して事務職を務め、夜は東京都立三田高校の定時制課程へと通う超人的な生活を送っていました。
さらには、圧倒的な美貌を見込まれて10代半ばにして東宝などの映画にエキストラ出演するなど、睡眠時間を削りながら貪欲に活路を模索します。そして18歳の時、より高い収入で弟の大学進学費用を工面するため、当時東京・赤坂に実在した伝説の社交場、高級クラブコパカバーナ時代へと足を踏み入れます。
当時の「コパカバーナ」は、単なる夜の店ではありません。各国の外交官、外資系企業のVIP、政財界の重鎮、ハリウッドスターが集う日本最高峰の国際プレステージサロンでした。彼女はそこで英語や社交マナー、一流の教養を猛スピードで身につけ、スカルノ大統領との歴史的邂逅へとつながる切符を手にしたのです。
しかし、大統領との熱愛がセンセーショナルに報じられると、昭和の保守的な世論とマスコミによる容赦ないバッシングが家族を襲います。体調を崩した母は急逝。さらに、最愛の弟・八曾男氏が彼女への恩義や世間の重圧、詐欺被害に苦しんだ末、20代前半の若さで自ら命を絶つという、筆舌に尽くしがたい悲劇に見舞われました。この癒えることのない傷痕こそが、彼女の内に「何があっても絶対に生き抜く」という鋼の反骨精神を植え付けたのです。