アンカラの歴史は極めて古い。紀元前2千年紀にはヒッタイト文明の影響下に置かれ、その後フリギア人、リディア人、ペルシア人、ローマ人、ビザンツ人、セルジューク朝、オスマン帝国と、実に多様な支配者を迎えてきた。とりわけローマ時代には「アンキラ」として重要都市となり、皇帝アウグストゥスの業績を刻んだ「アンキラ碑文(Monumentum Ancyranum)」が現在も残る。これはアンカラが単なる地方都市ではなく、古代から東西文明の交差点だった証拠である。 運命が大きく動いたのは20世紀初頭だ。第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊した後、ケマル・アタテュルクは1920年にアンカラで大国民議会を招集し、独立戦争を指揮した。そして1923年10月29日、トルコ共和国の建国とともにアンカラが首都に定められる。イスタンブールという「帝国の記憶」から距離を置き、内陸の新都市に近代国家の理想を託したのである。この決断は、政教分離や文字改革、女性参政権など、アタテュルク改革の象徴として今も語り継がれる。 建国当初、アンカラは人口数万規模の小さな町に過ぎなかった。それが100年足らずで数百万人都市へ成長した背景には、政府機関の移転、大学の誘致、そして防衛・航空産業の集積がある。在住日本人の間でも「アンカラはトルコの官庁街であり、試験都市」という評価が定着している。
アンカラとは何か|トルコ首都の歴史・人口・治安・日本人が知らない魅力を2026年最新事情で徹底解説
•
•
1分で読める