文芸評論家や心理カウンセラーの間でも、本作『ありか』における心理描写の鋭さは極めて高い評価を得ています。日本社会において長年タブー視されがちだった「母娘の愛憎」や「毒親問題」に対し、本作は極めて冷静かつ温かな解像度で切り込んでいます。
精神分析や家族社会学では、親の感情的支配から抜け出せない関係を「共依存」と呼びます。幼少期に親の顔色を窺い、親の機嫌を取ることでしか存在価値を見出せなかった子どもは、大人になって自身が親になった際、「自分も親と同じ毒親になってしまうのではないか」という強烈な投影同一視と自己処罰の念に苦しみます。美空が娘のひかりに対して抱く過剰なまでの気遣いと不安は、まさに健全な「心理的バウンダリー(自他の境界線)」を引くための試練そのものです。
ここで機能しているのが、義弟の絶妙な距離感です。義弟は美空に対して恋愛感情を持たず、家父長的な父親として振る舞うこともありません。ただ一人の人間として、美空とひかりの日常にフラットな優しさを注ぎ込みます。この「性愛や血縁に縛られない第三者の存在」が、美空の実母との閉塞した二者関係を打破する触媒となっています。代表作『そして、バトンは渡された』で見せた「血縁を超えた親子のバトン」からさらに深化し、『ありか』では「血の呪縛から自立するための他者の存在」を浮き彫りにした点が、瀬尾文学の真骨頂と評される所以です。