平均より背が高かった軍事の天才が、なぜ歴史上屈指の「小男」として記憶されるに至ったのでしょうか。綿密な史料分析を行うと、3つの重層的な要因が浮かび上がってきます。
1. フランスインチとイギリスインチの違いが生んだ数値の独り歩き
第一の要因は、先述したフランスインチとイギリスインチの違いです。当時、ヨーロッパ各国で「フィート(足)」や「インチ(親指)」の基準値はバラバラでした。イギリスの1フィート(約30.48cm)に対し、フランスの1ピエ(約32.48cm)は約6.5%も長かったのです。
ロンドンで出版されたナポレオンの伝記や軍事解説書において、記録者たちは「5フィート2インチ」というフランス側の数値をそのまま自国のヤード・ポンド法に直訳して紹介しました。その結果、イギリス国内では「157cm前後のちび助」という数値データが公文書や新聞を通じて猛烈なスピードで定着してしまったのです。
2. 身長180cm超の巨漢集団「近衛兵との身長差」
第二の要因は、彼が戦場や公の場で常に身を置いていた環境にあります。ナポレオンが最も信頼を寄せ、常に身辺を警護させていた「帝国近衛隊(Garde Impériale)」の選抜基準は極めて厳格でした。近衛歩兵連隊に入るためには最低でも約173cm以上、擲弾兵(てきだんへい)に至っては約178cm〜183cm以上の高身長が義務付けられていたと記録されています。
さらに彼らは、威圧感を高めるために高さ30cmを超える巨大な熊皮帽(ベアスキン)を着用していました。ただでさえ巨躯の精鋭兵たちが巨大な帽子を被って整列する中央に、通常の二角帽子と飾りのないフロックコートをまとった168cmのナポレオンが立てば、近衛兵との身長差によって錯視が生じ、第三者の目には彼が際立って小柄に見えたのは必然でした。
3. 前線の兵士たちが親愛を込めて呼んだ愛称「小さな伍長」
第三の要因は、1796年のイタリア遠征・ロディの戦いで生まれたナポレオンのニックネーム「ル・プティ・カポラル(Le Petit Caporal:小さな伍長)」です。一般には「背が低かったから伍長と呼ばれた」と解釈されがちですが、当時の従軍記を精査すると全く異なる文脈であることがわかります。
総司令官でありながら自ら砲台の照準を合わせ、最前線で泥にまみれて兵士と共に戦ったナポレオンに対し、古参兵たちは敬愛と親しみを込めて「俺たちの小さな伍長」と呼びました。フランス語の「petit」は物理的な小ささだけでなく、「親愛なる」「愛しい」というニュアンスを強く含みます。兵士たちの愛情表現であった言葉が、後に文脈を切り落とされ、低身長の証拠として誤読されていったのです。