寬仁親王は1980年、麻生太郎元首相の妹である信子さまと結婚しました。長女・彬子女王、次女・瑶子女王に恵まれ、一見すると円満な家庭を築いているように映りましたが、後年には深刻な家庭内の摩擦が表面化することになります。
信子妃殿下は更年期障害や脳虚血などの体調不良を理由に長期療養に入り、長年にわたる別居状態が続きました。一部の週刊誌等では夫婦間の価値観の不一致や親王の気性の激しさ、アルコール問題に起因する家庭内ストレスが取り沙汰され、彬子女王や瑶子女王もまた両親の間で苦悩を抱えることとなりました。
晩年の闘病生活において、信子妃殿下が親王の看病に直接関わることが叶わなかった経緯には、皇室関係者の間でも様々な見解が存在します。しかし、親王の薨去に際して長女の彬子女王が喪主を務め、自らの研究生活(女性皇族として史上初の海外博士号取得)と公務を両立させながら父の遺志を受け継ぐ姿は、単なる断絶ではない家族の深い結びつきを証明しています。
彬子女王の著書『赤と青のガウン』が幅広い世代で再注目される現在、父・寬仁親王から受け継いだ厳格な美意識と、皇室を支える責任感が娘たちの公務の端々に息づいています。信子妃殿下も公務へ本格復帰を果たし、それぞれの立場で三笠宮家の誇りを守り続けています。