ラッコ鍋と並び、ファンの脳裏に焼き付いているのが、刺青の囚人の一人である岩息舞治らと繰り広げられた「スチェンカ」や「サウナ対決」です。なぜ男たちはことあるごとに衣服を脱ぎ捨て、筋肉を誇示し合わなければならなかったのでしょうか。
サウナ対決の背景には、過酷な北方の大自然で生き抜く男たちの「肉体言語による対話」が存在します。言葉による論理的な説得ではなく、熱気の中で限界まで我慢比べを行い、互いの生命力を削り合うことでのみ通じ合える魂の領域があるのです。野田サトル氏が描く肉体美は、単なる記号的な美男子のそれではなく、傷痕、鍛え上げられた筋繊維、漂う男臭さといった生々しい生命讃歌そのものでした。
社会学的に見れば、これは極めて純度の高い「ホモソーシャル(男同士の強固な絆)」の極限状態です。互いを殺し合いかねない敵対関係でありながら、一度衣服を脱ぎ捨てて肉体をぶつけ合えば、奇妙な敬意と連帯が芽生える。この「生と死の狭間でしか結ばれない男たちの交歓」が、読者の深層心理に眠るロマンティシズムを激しく刺激したことは疑いようがありません。