三島由紀夫はなぜ、戦後25年が経過した平和と高度経済成長を謳歌する日本において、時代錯誤とも思える日本刀による自決を完遂したのでしょうか。精神医学や家族社会学、そして昭和文化史の視座から見ると、そこには近代知識人の宿痾(しゅくあ)ともいえる「言葉と肉体の乖離」に対する極限の抵抗が読み解けます。
幼少期から病弱で、文学という「言葉の虚構」の中で生きてきた三島は、40歳を過ぎてから猛烈なボディビルと剣道に打ち込みました。彼が渇望したのは、言葉によって装飾された自己ではなく、物質として完結する「肉体の絶対性」でした。日本刀とは、まさに一切の欺瞞を許さない冷徹な物理的実存であり、言葉の対極に位置する絶対の象徴だったのです。
また、日本社会が敗戦によって喪失した「武士道の死生観」を一人で引き受け、自らの死を至高の芸術作品として完結させようとするナルシシズムと自己処罰の心理が、関の孫六という剛刀へと彼を駆り立てました。彼の愛刀は、美と暴力、そして死を一つに結びつけるための、文豪にとって唯一無二の結節点だったといえます。