二人の出会いは、1970年代初頭の京都産業大学時代にまで遡ります。当時、落語研究会に所属していた鶴瓶青年は、キャンパス内でフォークソング愛好会に所属していた玲子さんに猛烈なアプローチを開始しました。「ひと目見た瞬間からこの人しかいないと思った」と鶴瓶さん自身が自著やインタビューで明かしている通り、情熱的な口説き落としの末に交際がスタートしました。
大学卒業後、鶴瓶さんは六代目笑福亭松鶴師匠に入門。当時の落語家修業は非常に過酷で、当然ながら十分な収入はありませんでした。風呂なし・共同トイレの安アパートで暮らす極貧生活の中、玲子さんは文句ひとつ言わず鶴瓶さんを支え続けました。1974年に二人は正式に婚姻届を提出。経済的な安定など微塵もなかった時代に、将来の成功を疑わずに人生を預けた玲子さんの決断力と器の大きさは、昭和芸能史における屈指の内助の功といえます。
鶴瓶さんは当時の手記で「あの時期の女房の笑顔がなかったら、今の芸人・笑福亭鶴瓶は絶対に存在していなかった」と述懐しています。生活苦の中でも決して鶴瓶さんの才能を否定せず、笑いに変える土台を作ったのは間違いなく玲子夫人でした。