そもそもソ連の国歌は、建国当初からアレクサンドロフのメロディだったわけではありません。1917年のロシア十月革命から1944年に至る四半世紀以上もの間、ソビエト連邦の国歌は世界中の労働運動で歌われていた「インターナショナル(L'Internationale)」でした。社会主義の世界革命を目指すプロレタリアートの団結歌をそのまま国家のシンボルとして掲げていたのです。
潮目が劇的に変わったのは、第二次世界大戦(ソ連名:大祖国戦争)の激化でした。ナチス・ドイツの侵攻によって存亡の危機に立たされたソ連指導部は、国民を命がけの戦線へ動員するために「階級闘争」ではなく「祖国防衛」というロシア古来のナショナリズムに訴えかける必要性に迫られます。同時に、連合国であるアメリカやイギリスとの協調路線を演出するため、共産主義の輸出組織であったコミンテルンを1943年に解散。これに伴い、「世界革命のための歌」から「偉大な祖国ソ連を讃える歌」への国歌刷新が至上命題となったのです。
ヨシフ・スターリンの厳命によって極秘裏に開催された大規模な新国歌コンペティションには、ドミートリイ・ショスタコーヴィチやアラム・ハチャトゥリアンといった錚々たる巨匠たちがこぞって参加しました。数百に及ぶ候補曲の中からスターリンが自ら聴き比べ、最終的に選定したのが、赤軍合唱団の創設者であるアレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・アレクサンドロフの旋律でした。
アレクサンドロフの経歴は極めて特異です。ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフやリャードフといったロシア国民楽派の重鎮に師事した彼は、モスクワのキリスト救世主ハリストス大聖堂などで教会聖歌隊の指揮者を長年務めた人物でした。つまり、厳格なロシア正教のポリフォニー(多声楽)と典礼音楽の美学を骨の髄まで叩き込まれていた音楽家だったのです。彼が1939年に自ら率いる赤軍合唱団のために作曲していた「全連邦共産党(ボリシェヴィキ)党歌」の重厚な旋律が、スターリンの耳を捉え、わずかに手を加えられた上で1944年1月1日、新たな「ソビエト社会主義共和国連邦国歌」として正式に産声を上げました。