呉智英という人物を語る上で最大の関門となるのが、自らを「封建主義者」と規定する独特のスタンスです。一般的に「封建主義」と聞くと、身分固定や前近代的な圧政を想起しがちですが、彼の真意は単なる過去への回帰ではありません。
彼が暴き立てるのは、「人間は理性によって無限に進歩し、平等を実現できる」という近代啓蒙主義の傲慢と欺瞞です。歴史を紐解けば、絶対平等を標榜した革命やイデオロギーがいかに多くの粛清や全体主義を生み出してきたか――この冷厳な事実を踏まえ、身分や制約を前提としつつ社会秩序を保った封建社会のリアリズムを再評価する知の実験を行っているのです。
また、代表作『現代人の論語』に象徴されるように、儒教をはじめとする古典への傾倒もこの文脈に位置づけられます。抽象的な人権論を振りかざすのではなく、日常の礼節や具体的な人間関係の積み重ねの中にこそ社会の知恵があるとする視点は、行き詰まった個人主義社会に対する強烈な解毒剤として機能しています。