考古学の視点から論争の中核を成してきたのが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と奈良県の纏向遺跡の比較検証だ。吉野ヶ里遺跡は、環濠集落としての巨大な防御機構や、王墓とされる墳丘墓、祭祀を司ったとみられる主祭殿など、『魏志倭人伝』に記された「宮室、楼観、城柵」の記述と驚くほどの符合を見せる。
一方で、纏向遺跡も広域からの物流が集積した重要な拠点であることは間違いない。しかし、そこに生活感や強固な防衛線が乏しい点、出土する土器の編年が卑弥呼の在位期間とわずかにズレる点など、都としての機能を疑問視する声も強い。二つの遺跡が放つ性格の違いは、当時の日本列島における権力構造の多角的な広がりを示している。