明瀬山が土俵を去る決断を下した最大の引退理由は、度重なる大怪我との戦いによる肉体的な限界でした。特に現役後半のキャリアは、両膝の靭帯損傷や半月板の故障、そして慢性的な腰痛との壮絶な闘争の連続でした。
日本大学相撲部出身のエリートとして2008年初場所に幕下付け出しで角界入りした明瀬山は、入門直後から順風満帆だったわけではありません。激しい稽古による怪我や、関取と幕下の間を行き来する苦節の日々を長く経験しました。2016年春場所に30歳8ヶ月で新入幕を果たすも、わずか1場所で十両へ陥落。その後も度重なる怪我で幕下下位まで番付を落とすなど、幾度となく現役引退の危機に直面しました。
それでも不屈の闘志で這い上がり、2026年初場所には35歳5ヶ月という異例の高齢で約5年ぶりの再入幕を達成。初日から破竹の6連勝を飾るなど「ベテランの星」として日本中を熱狂させました。しかし、土俵際での激しい攻防は確実にその身体を蝕んでいきました。2026年に入ると膝の痛みが悪化し、本来の変幻自在な足腰の粘りを発揮することが困難となり、潔く現役引退を決断するに至ったのです。
2026年6月に両国国技館の大広間で行われた断髪式には、師匠の木瀬親方をはじめ、部屋の関取衆や日大相撲部関係者、多くのファンが集結。切り落とされる大銀杏に別れを告げた明瀬山は、涙を浮かべながらも清々しい表情で15年以上の力士生活を締めくくりました。