インドネシア近現代史における最大の転換点となったのが、太平洋戦争に伴う日本軍政期(1942〜1945年)です。日本軍は蘭印作戦によってわずか数週間でオランダ軍を降伏させ、現地社会に「西欧支配の終焉」を強烈に印象付けました。
日本軍政下では資源徴発や労務者(ロームシャ)動員といった過酷な負担が課された一方、オランダ支配下で抑圧されていたインドネシア語の公用語化、オランダ人官僚の排除に伴う現地人エリートの要職起用が行われました。何より決定的だったのは、郷土防衛義勇軍(PETA)をはじめとする軍事組織の結成と訓練です。これにより、それまで武力を持たなかった若者たちに実戦的な軍事技術と指揮系統が授けられました。
スカルノ自身、自伝や回顧録の中で「日本の軍政は過酷であったが、民族の覚醒と武装をもたらしたことは否定できない」と述懐しています。1945年8月15日の日本降伏直後、連合軍の進駐前に既成事実を作るべく、スカルノとハッタは1945年8月17日、ジャカルタの私邸前で歴史的な独立宣言を読み上げました。この日は現在も国家最大の祝日「独立記念日」として盛大に祝われています。
しかし、オランダはこれを認めず、イギリス軍の支援を受けて再侵略を開始。ここから1949年のハーグ円卓会議に至るまで、4年間にわたる凄惨なインドネシア独立戦争が勃発しました。残留した元日本兵約1,000〜2,000名がインドネシア独立軍に身を投じ、共にゲリラ戦を戦った事実は両国の関係史において広く知られています。