麻布十番「更科堀井」の真実|他店との決定的な違いと230年の歴史を解剖

麻布十番「更科堀井」の真実|他店との決定的な違いと230年の歴史を解剖

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東京の蕎麦文化を語る上で欠かせない「更科(さらしな)」のルーツは、初代・堀井清右衛門(布屋太兵衛)が信州から江戸・麻布永坂に開いた蕎麦屋に遡ります。初代は信濃高遠藩主・保科家の江戸屋敷御用商人であったことから、保科家の「科」の字と信州更級郡の名を掛け合わせ、領主より「更科」の屋号を授かりました。

江戸時代には大名屋敷や将軍家、明治以降は宮内省御用達として皇室にも蕎麦を納めるなど、更科は常に最高峰の格式を誇ってきました。しかし、昭和初期の金融恐慌や第二次世界大戦の混乱期に七代目堀井松之助の急逝が重なり、1941年に一度は麻布永坂の店舗を閉鎖する苦難に見舞われます。

その際、「布屋太兵衛」の商標や店舗不動産が他者の手に渡るという歴史のうねりがありました。それでも堀井家の血統と職人魂は途絶えることなく、八代目・堀井良造氏らの尽力により、1984年(昭和59年)に創業の地である麻布十番に「総本家更科堀井」として復興を果たしました。現在も九代目・堀井良一氏がその伝統を継承しており、暖簾の看板に頼るのではなく「本家の味と血統」を現代に証明し続けている点こそが、他店と一線を画す最大の理由です。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。