『奥の細道』の旅路において、「草の戸」の句と対をなす重要な名句を振り返ることで、芭蕉の旅立ちからクライマックスへの感情の軌跡が立体化されます。
■ 行く春や鳥啼き魚の目は泪(千住)
深川を出港し、隅田川を上って千住大橋付近で船を降りた際に詠まれた旅立ちの句。「草の戸」が庵に対する内省的な別れであったのに対し、こちらは見送りに来た弟子たちとの今生の別れを惜しむ、情感溢れる対の句となっています。
■ 閑さや岩にしみ入る蝉の声(立石寺・山形)
旅の中盤、出羽国の山寺で詠まれた静寂の極地。「草の戸」で培われた静けさへの感覚が、東北の大自然の中で極限まで研ぎ澄まされた瞬間です。
■ 五月雨をあつめて早し最上川(最上川・山形)
大自然の躍動とスピード感を詠んだ豪快な句。草庵の静的な世界観から、旅のダイナミズムへと芭蕉の視線が完全に移行したことを示しています。
■ 蛤のふたみに別れ行く秋ぞ(大垣・岐阜)
約半年に及ぶ『奥の細道』の旅の結びの句。春の「雛の家」で始まった旅が、秋の深まりとともに伊勢神宮への再度の船出(旅立ち)で幕を閉じます。始まりと終わりが見事な円環構造を描いています。