信太山新開地の起源を紐解くには、近代日本の軍事史に目を向ける必要があります。明治から大正、昭和初期にかけて、信太山周辺には旧陸軍信太山演習場・駐屯地(現・陸上自衛隊信太山駐屯地)が置かれ、西日本有数の軍都として栄えていました。数多くの将兵や動員兵が集まる中で、彼らの慰安と社交を目的とした遊興地・飲食店街が形成されたのが、現在の新開地の直接的なルーツです。
1958年(昭和33年)の売春防止法完全施行に伴い、全国の赤線地帯は大きな転換期を迎えました。多くの歓楽街が転業や廃業を余儀なくされる中、信太山新開地は大阪市内の各新地と同様に、飲食・接待を名目とする「料亭街」へと業態を再編しました。この際に設立されたのが「信太山料理組合」、現在の「信太山新開地協同組合」です。
同組合の歴史的役割は、単なる同業者間の利益調整にとどまりません。近隣住民とのトラブル防止、衛生環境の保持、過度な客引きや不法行為の抑止といった「自治と自浄」を一手に担う防波堤として機能してきました。半世紀以上にわたるこの組織的枠組みこそが、郊外の住宅地近接エリアでありながら現在まで街が存続してきた最大の構造的要因です。