紀元前206年、秦の暴政を倒すべく挙兵した反乱軍の中で、二大巨頭となったのが名門出身の猛将・項羽(軍勢40万)と、庶民出身の野心家・劉邦(軍勢10万)でした。両者の間には「先に関中(秦の首都・咸陽一帯)を平定した者を王とする」という約束が交わされていましたが、劉邦が項羽を出し抜いて先に咸陽を制圧してしまいます。
これに激怒した項羽は、劉邦軍を殲滅すべく本陣の鴻門へと進軍しました。兵力差は4倍におよび、正面衝突すれば劉邦軍に勝ち目はありません。窮地に陥った劉邦は、項羽の叔父である項伯の手引きを受け、わずか百余騎の側近を連れて項羽の本陣「鴻門」へ赴き、弁明と謝罪の宴に臨むことになります。これが世にいう「鴻門之会」の幕開けです。
酒宴の最中、項羽の参謀である范増(亜父)は、劉邦がいずれ項羽の天下取りを阻む最大の脅威になると確信していました。范増は身につけていた玉玦(ぎょくけつ:環状の玉)を三度掲げて項羽に劉邦殺害の合図を送りますが、劉邦の低姿勢な態度に毒気を抜かれた項羽は黙然として応じません。業を煮やした范増が宴席を抜け出し、項羽の従弟である武将・項荘を呼び出して仕掛けた謀略こそが、余興を装った「剣の舞」でした。