かつて甲州武田家に仕え、武田壊滅後は森長可、そして真田昌幸・信之へと主君を変えた出浦氏。その中心人物である昌相は、対外的な外交裏工作と特殊作戦の全権を握っていた。今回公表された『出浦家関係覚書』の解析を進める研究チームによれば、彼が率いたネットワークは単なる敵情視察にとどまらず、敵陣営の世論誘導や補給線の攪乱作戦まで手広く網羅していたという。
通信手段が狼煙や飛脚に限られていた時代。それにもかかわらず、出浦の配下は信濃から駿河、関八州に至る広大なエリアの動向を、わずか数日で上田城へと伝達していた。この異常なまでの情報収集スピードこそが、第1次・第2次上田合戦で真田が徳川の大軍を撃破した最大の原動力だった。