1789年7月14日、絶対王政の象徴とされた要塞が民衆によって包囲され、バスティーユ牢獄襲撃の真相として知られる武力衝突が勃発しました。この事件以降、風刺画のトーンには劇的な構造転換が起こります。
それまで「うずくまり、ただ重荷に耐えるだけ」だった農民の姿が、一転して「立ち上がり、武器を取る姿」へと激変したのです。有名な変形版の風刺画では、「今度は我々の番だ(Le Temps Passe)」という題名のもと、農民がライオンのように起き上がり、仰天して逃げ惑う貴族と聖職者を今度は自分が背中に乗せて鞭を振るう構図が登場しました。耐従のシンボルだった農民は、自らの権利を実力行使で奪還する主権者へと描き直されたのです。
この変化を主導したのが、貴族のような絹の半ズボン(キュロット)を履かない庶民層、すなわちサンキュロットと民衆蜂起の担い手たちでした。彼らは槍の穂先に自由の帽子(フリジア帽)を掲げ、風刺画のなかで旧体制の特権階級を震え上がらせる「正義の執行者」としてヒロイックに描かれました。
そして1789年8月、国民議会が「封建的特権の廃止」とフランス人権宣言と身分制度改革を採択すると、風刺画は「聖職者・貴族・平民の三者が巨大な鍛冶場で一つのアンビル(金床)を囲み、新しい憲法を叩き上げる姿」を描き始めます。長年続いた支配と被支配の構図が崩壊し、市民社会が誕生する歴史的瞬間を、風刺画はリアルタイムのグラフィック・ドキュメンタリーとして記録し、拡散し続けたのです。