櫻井俊氏の名が全国の一般家庭にまで轟いた最大の契機は、2016年夏の東京都知事選挙を巡る出馬要請騒動でした。当時の舛添要一知事の辞職に伴い、自民党東京都連を中心に「抜群の知名度と行政手腕、クリーンなイメージ」を兼ね備えた大本命候補として白羽の矢が立ったのが、直前に事務次官を退官したばかりの俊氏でした。
連日メディアが自宅前に詰めかける異常事態の中、俊氏はぶら下がり取材で「同姓同名の別人ではないかと思った」とユーモアを交えつつも、出馬要請を一貫して固辞。記者会見でも「自分は裏方として政策実務を担ってきた官僚であり、リーダーとして矢面に立つ器ではない」と言い切りました。
この電撃辞退の背景には、官僚としての矜持に加え、長男・櫻井翔さんへの深い配慮があったと政界関係者や大手紙記者は口を揃えます。当時、櫻井翔さんは嵐の活動のみならず『news zero』のキャスターとして政治・社会ニュースを報じる立場にありました。仮に父親が首都・東京の知事選に出馬し、特定の政党の支援を受けることになれば、翔さんのキャスターとしての政治的中立性に致命的な疑義が生じかねません。
櫻井翔さん自身、当時のテレビ番組や対談企画で「父親とはお互いの仕事に口出ししない」と語りつつも、家族が世間の好奇の目に晒されるストレスを率直に明かしていました。過度な干渉を排し、個々の職業倫理を尊重し合う「心理的バウンダリー(境界線)」が厳格に守られていたからこそ、俊氏は政治の誘惑に惑わされることなく身を引いたと言えます。