愛岐トンネル群の原点は、明治時代後期の国家プロジェクトに遡ります。1900年(明治33年)、名古屋と多治見・木曽を結ぶ重要幹線として開通した旧国鉄中央東線。庄内川(通称・玉野川)の険阻な断崖絶壁を切り拓く工事は難渋を極め、蒸気機関車の煤煙と高熱に耐えうる堅牢な構造として選ばれたのが、職人の手でひとつひとつ積み上げられた赤レンガでした。全長約8キロメートルの区間に14本ものトンネルが連続して掘削され、当時の土木技術の粋を集めた大動脈として日本の近代化を支え続けたのです。
しかし、高度経済成長期の1966年(昭和41年)、複線電化に伴う新ルート(新愛岐トンネルなど)の開通によって、この難所区間は一網打尽に廃線となりました。線路のレールや枕木は撤去され、残されたトンネル群は国鉄の民営化や管轄の変遷の中で放置され、急速に密林へと飲み込まれていきます。周辺自治体の公式地図からもその存在が消え、地元住民の間ですら「昔、あの谷に汽車が走っていた」という昔語りとして風化していきました。
事態が劇的に動いたのは2007年のことでした。当時の地元市民有志が、古地図や古い航空写真を頼りに密林へ分け入った際の記録が残されています。発掘プロジェクトに初期から携わった関係者の手記には、「胸丈まで茂る笹藪と倒木をナタで切り開きながら進むと、突然目の前に威厳に満ちた巨大な赤レンガのアーチが黒々と口を開けていた。時が止まった空間に鳥肌が立った」という生々しい証言が綴られています。総数約180万個ものレンガがイギリス積みで組まれた14基のトンネルのうち、愛知県春日井市側に残る4基(3号〜6号トンネル、延長約1.7km)が奇跡的に崩落を免れ、良好な状態で保存されていることが確認されました。この市民による草の根の発見劇こそが、今日のブームの原点です。