藤圭子さんの家族構成は、浪曲師として活動していた父親の阿部壮(あべ そう)さんと、三味線奏者の母・竹中澄子さん、そして子どもたちからなる旅芸人の一家でした。
岩手県一関市で生まれた藤圭子さんは、一家で北海道旭川市などを転々としながら育ちます。当時の阿部家は定職に就いて安定した生活を送ることが難しく、家々の前や盛り場で芸を披露して金銭を得る「門付(かどづけ)」と呼ばれる旅回りで生計を立てていました。
極貧の生活環境の中で、幼い藤圭子さんもまた両親の巡業に同行し、母親の三味線に合わせて自ら歌声を響かせるようになります。生活のための過酷な巡業は、結果として藤圭子さんの喉を鍛え上げ、哀愁と迫力を兼ね備えた唯一無二の歌唱表現を育む土壌となりました。