内村家を巡る報道のなかで、最も世間の関心を引いたのが「母子の確執説」でした。北京、ロンドン五輪と過熱するメディアのなかで、母の派手な露出に対し、思春期から青年期を迎えた航平氏が戸惑いを見せたのは事実です。一時期は「もう応援に来てほしくない」と吐露したとされるエピソードが独り歩きし、週刊誌の格好のターゲットとなりました。
加えて、航平氏の結婚や独立を機に、母子の物理的・精神的な距離が生じたことで「絶縁状態」と報じられた時期もありました。過干渉とも映る母の情熱から抜け出し、一人前の男として自立しようとする息子側の葛藤があったことは否めません。
しかし、航平氏の現役引退やその後の歩みを通じ、この関係性は新たな成熟期を迎えています。航平氏は自らの引退イベントや節目において、母への感謝の思いを素直に口にするようになりました。周子氏自身も「子離れ」を受け入れ、適切な距離感を保ちながら一人の表現者・指導者同士としてリスペクトし合う関係へと軟着陸を果たしています。確執という言葉で片付けられがちな関係は、深い絆ゆえの健全な脱皮プロセスでした。