天童よしみの音楽人生は、決して順風満帆なエリート街道ではありませんでした。その輝かしいキャリアの裏側には、10代から20代にかけて経験した壮絶な下積みと挫折の歴史が刻まれています。
1970年、若干15歳(当時中学生)のときに「吉田よしみ」名義で人気アニメ『いなかっぺ大将』の挿入歌「大ちゃん数え唄」を吹き込み、卓越した歌唱力で注目を集めました。そして1972年、「風が吹く」で天童よしみとして華々しくメジャーデビューを果たします。
しかし、デビュー後はヒット曲に恵まれず、長い低迷期に突入します。当時の演歌界はビジュアルやスタイルの良さも重視される時代であり、小柄でぽっちゃりとした容姿に対する無遠慮な言葉に傷つくことも少なくありませんでした。地方のキャバレーや健康ランド、スナックを手作りのカセットテープを持ってドサ回りする日々が10年以上続きます。
この苦境を支え抜いたのが、実の母親である筆子さんでした。マネージャー役として寝食を共にし、衣装の縫製から営業先の手配まで二人三脚で娘を鼓舞し続けた母娘の絆は、昭和芸能界における象徴的なドラマとして語り継がれています。
転機が訪れたのは1985年、シングル「道頓堀人情」の発売でした。有線放送からじわじわと火がつき、泥臭くも温かい歌声が日本中の庶民の心を捉えて大ヒットを記録。その後、1993年には「酒きずな」でNHK紅白歌合戦に念願の初出場を果たしました。
1996年には「珍島物語」が130万枚を超えるミリオンセラーを達成。さらにノーベル製菓『VC-3000のど飴』のテレビCMで披露した「なめたらあかん〜なめたらあかん〜そこそこいけるやん」という軽快なフレーズとお茶目なキャラクターが若者層や子どもたちにまで浸透し、国民的な人気を不動のものとしました。