世紀の発見から間もなくして、世界中の紙面を賑わせた「ファラオの呪い」。ことの発端は、発掘作業が本格化していた1923年4月5日、発掘プロジェクトの出資者であった第5代カーナヴォン卿ジョージ・ハーバートがカイロのホテルで急逝した事件でした。これを契機に、「王の眠りを妨げた者に死の翼が触れる」といった不気味な警告文が墓の入口に刻まれていたという言説が瞬く間に広まりました。
調査の最前線にいた学者や訪問者が次々と命を落としたとされるこの話ですが、結論から言えば、語り継がれている呪いのエピソードには多くの誇張と明確な虚偽が含まれています。最も有名な「警告の碑文」そのものが、発掘現場のどこにも実在していませんでした。大衆の恐怖心を煽るため、一部の作家や特派員が脚色して流布したフィクションが既成事実化してしまったのが実情です。