1931年、東京に生まれた谷川俊太郎は、著名な哲学者・法政大学総長を務めた谷川徹三の長男として育ちました。幼少期から学問的な環境に囲まれながらも、学校教育の枠組みには馴染めず、旧制豊多摩中学(現・都立豊多摩高校)時代には詩作に没頭するようになります。
10代の終わりに書きためた詩のノートを、父・徹三の友人であった詩人・三好達治が見たことで運命が大きく動きます。三好は「この若者はすでに完成された詩人だ」と激賞し、文芸誌『文学界』への推薦を決定。1950年に商業誌デビューを飾ると、1952年に刊行された第一詩集『二十億光年の孤独』は文壇に鮮烈な衝撃を与えました。
以降、半世紀以上にわたり常に現代詩の第一線で筆を執り続け、読売文学賞、野間児童文芸賞、萩原朔太郎賞、鮎川信夫賞など数多くの文学賞を受賞。晩年になってもタブレット端末を使いこなし、Twitter(現X)での発信や他ジャンルのクリエイターとのコラボレーションを積極的に行い、2024年11月に92歳で永眠する直前まで言葉の可能性を追求し続けました。