澤瀉屋の家系図をひもとくと、そこには古典演劇の華やかさとは裏腹の重々しい葛藤が刻まれている。香川照之の実父は、歌舞伎界に数々の革新をもたらした二代目 市川猿翁(当時は三代目市川猿之助)。だが香川が幼少の折に両親が離婚し、母である女優・浜木綿子の元で育てられたため、香川自身は長らく歌舞伎の世界とは完全に隔絶された生活を送っていた。
一方、二代目 市川猿翁の弟である四代目 市川段四郎の息子として生まれたのが、四代目 市川猿之助だ。直系でありながら梨園を離れて東京大学を卒業し、異色の「インテリ俳優」として活躍していた香川と、幼い頃から澤瀉屋の御曹司として厳しい稽古に身を捧げてきた四代目 市川猿之助。二人は従兄弟でありながら、20代半ばを過ぎるまで直接の交流がほとんど存在しなかったのである。
この歪みとも言える距離感が変化したのは、香川が40代半ばにして歌舞伎の世界へ足を踏み入れる決意を固めた時だった。「市川中車」の名乗りを上げ、息子である五代目 市川團子とともに澤瀉屋の一員となる際、裏で最も強力に手を差し伸べたのが、ほかでもない従兄弟の四代目 市川猿之助であった。