「醜女(しこめ)」という言葉の原点であり、日本神話屈指のサスペンスシーンを形作っているのが、『古事記』の上巻に記された黄泉醜女(ヨモツシコメ)の襲撃劇です。
国生みを果たした夫婦神、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)。火の神を生んだ火傷が原因で命を落とした妻・イザナミを取り戻すため、イザナギは死者の領域である「黄泉の国(よみのくに)」へと足を踏み入れます。しかし、すでに黄泉の国の食べ物を口にしていたイザナミは、神々の世界へ戻る相談をする間、「私の姿を決して見ないでください」と固く戒めました。
待ちきれなくなったイザナギが櫛の歯に火を灯して暗闇を照らすと、そこには肉体が崩壊し、無数の蛆が湧き、全身に八雷神(ヤクサノイカヅチノカミ)が憑りついた妻の無残な腐敗死体が横たわっていました。羞恥と怒りに震えるイザナミは「私に恥をかかせた」と叫び、逃走するイザナギを捕殺すべく、黄泉の国の刺客である「予母都志許売(黄泉醜女)」を放ちます。
古事記の記述において、黄泉醜女は単独の個体ではなく、複数あるいは集団の「死の追撃部隊」として描かれます。神代の山野を韋駄天の如く疾走する彼女たちに対し、イザナギは頭に巻いていた黒御鬘(くろみかずら)を脱ぎ捨てます。するとそこから山葡萄の実が生え、醜女たちが足を止めて貪り食う間に距離を稼ぎました。食べ尽くして再び猛追してきた際には、右の角髪(みずら)に刺していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)の歯を折って投げ捨てると、今度は筍が生え、それを引っこ抜いて食らう隙にイザナギは生と死の境界である黄泉比良坂(よもつひらさか)へと逃げ延びました。
この描写が示す通り、黄泉醜女の本質は「食欲という原始的本能に衝き動かされる、制御不能な自然界の猛威」です。単なる容姿の怪奇さではなく、死の国の穢れと圧倒的な生命破壊力を併せ持った、古代人にとっての「死そのものの恐怖の具現化」こそが黄泉醜女の真の姿でした。