2006年2月1日の未明、京都市伏見区の桂川河川敷は氷点下の静けさに包まれていた。当時54歳の男は、車椅子に乗せた86歳の母を押しながら、行くあてもなく夜の街を彷徨い歩いていた。電気もガスも止められ、家賃の支払いは完全に滞納。母に食べさせるためのパンを買い、男自身は数日に一度水しか口にできない極限状態が続いていた。
母の認知症が進行するにつれ、男は仕事を辞めざるを得なくなった。昼夜を問わず徘徊を繰り返す母から目を離せず、24時間態勢の介護が彼の体力を削り取る。睡眠時間は連日2時間足らず。心身ともに限界を超えた男が、死を決意して母を連れ出したのがその夜だった。
河川敷の草むらで、男は泣きながら母に詫びた。「もう生きられへんのや。すまんな」。すると、重度の認知症で意思疎通すら困難だったはずの母が、男の手をしっかりと握り返したという。「もうええ、お前と一緒に死のう」「泣くな、お前はわしの宝物や」。その温かい言葉が、男の最後の理性を押し流した。母の首を絞めて絶命させた男は、自らの首や手首を包丁で切りつけて倒れたが、死にきれずに朝を迎えることとなった。