結婚後のジョンとヨーコは、音楽とコンセプチュアル・アートを融合させた急進的な平和活動を展開します。新婚旅行を兼ねてアムステルダムとモントリオールのホテルで行われた「ベッド・イン(Bed-In for Peace)」では、パジャマ姿でベッドの上に座り続け、世界中から集まった記者たちと平和について対話を重ねました。この部屋で録音された『Give Peace a Chance(平和を我らに)』は、ベトナム反戦運動の象徴的アンセムとなります。
しかし、メディアからの激しい誹謗中傷や米政府からの国外退去圧力は、ジョンの精神を次第に蝕んでいきました。1973年秋から1975年初頭にかけて、二人は約18カ月間に及ぶ別居生活に入ります。ヨーコの承認のもと、個人秘書であったメイ・パンがジョンのパートナーを務めたこの期間は、後に「失われた週末(Lost Weekend)」と呼ばれました。ロサンゼルスで自堕落な生活を送る一方で、ジョンはエルトン・ジョンやデヴィッド・ボウイと交流し、名盤『心の壁、愛の橋(Walls and Bridges)』を制作。息子ジュリアンとの関係を修復するなど、人間的な成長を遂げた重要な準備期間でもありました。
1975年10月9日、ジョンの35歳の誕生日に次男ショーン・レノンが誕生すると、ジョンは音楽活動を完全に停止し、5年間にわたる「ハウス・ハズバンド(主夫)」生活に入ります。ヨーコが不動産投資や資産管理を一手に引き受ける間、ジョンはダコタ・ハウスでパンを焼き、息子を育てる喜びに浸りました。そして1980年、夫婦の対話を交互に織り込んだ奇跡の復帰アルバム『ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)』を発表し、二人は再び世界の表舞台へと帰還したのです。