外部の人間を一切寄せ付けない閉ざされた世界と思われがちだった九龍城砦ですが、実は日本人ジャーナリストや研究者が内部に入り込み、寝食を共にした貴重な記録が残されています。その代表格が、九龍城砦日本人居住者として知られるジャーナリスト・吉田一郎氏です。
吉田一郎九龍城砦調査の特筆すべき点は、単なる数時間の物見遊山ではなく、香港留学中の1980年代末、城砦内に自ら部屋を借りて実際に生活者として腰を据えた点にあります。自著や当時のルポルタージュにおいて、吉田氏は「外で語られるおどろおどろしい魔窟の噂と、内部のあまりに人間臭い日常とのギャップ」を克明に書き残しました。
吉田氏の記録によると、家賃は当時の香港市街地の数分の一であり、敷金も礼金も契約書もなく、口約束と現金の手渡しだけで部屋を借りることができました。部屋には隙間風が吹き込み、隣の住人の生活音や広東語の怒鳴り声が筒抜けでしたが、誰何(すいか)されることもなく、食堂のおばちゃんや露天商の親父たちは外国人である吉田氏に対しても極めてフランクに接したといいます。
また、日本の建築家集団(内藤昌氏や可児弘明氏ら率いる「九龍城砦探検隊」)が解体直前の1992年に敢行した実測調査では、複雑怪奇な建物の内部断面が詳細に記録され、世界的名著『大図解九龍城』として結実しました。彼らの調査によって、無秩序に見えたビルの密集が、実は住民同士の通路の共有や通風・採光のための吹き抜けの確保など、極めて計算された合意形成の連続によって成立していたという驚くべき構造が学術的に証明されたのです。
【プロの結論】都市社会学から見出すべき光と影の教訓
九龍城砦という特異な都市空間を現代の都市社会学の視点から分析すると、単なるスラム賛美やノスタルジーでは済まされない深い示唆を得ることができます。
近代都市計画は「衛生・防災・秩序」を最優先し、違法建築や無認可労働を徹底的に排除してきました。その結果、現代の都市は清潔で安全になった反面、人と人との繋がりが希薄化し、孤独や生活困窮者の孤立を招いています。
九龍城砦には、法律や行政のセーフティネットが存在しなかった代わりに、近隣住民が互いを見守り助け合う強固な「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」が自然発生していました。無認可の工場や医療も、貧困層が生きていくための防貧装置として機能していたことは否定できません。
しかし一方で、一度大火災が発生すれば数千人が命を落としかねない防災上の破綻、不衛生な水質による健康被害、子どもの教育格差など、命に直結する構造的欠陥を抱えていたことも事実です。「人間味あふれる自治コミュニティの魅力」と「近代国家が提供すべき最低限の安全と衛生」。この二つの相克をどう乗り越えるかという問いは、現代の都市開発や住宅政策にも重い課題を突きつけています。