ウェブ上の掲示板やSNSでは、長年「コンビ解消=感情的な対立や仲違い」という安易なナラティブが語り継がれがちでした。しかし、この「不仲説」は二人の実態を知る関係者の間では完全に否定されています。
安孫子素雄氏は自著手記『二人で少年漫画ばかり描いてきた』や数々のテレビ特番インタビューにおいて、藤本氏に対する偽らざる敬意を次のように吐露しています。
「藤本君は本物の天才でした。僕は彼という太陽の光を浴びて輝く月だった。彼と小学校の教室で出会わなければ、僕が漫画家になることなんて絶対にあり得なかった」
社交的でゴルフや麻雀を愛し、芸能界にも広い交友関係を持っていた安孫子氏に対し、藤本氏は極めて内省的で、仕事が終われば真っ直ぐ家に帰り家族と過ごす典型的なマイホームパパでした。生活スタイルも性格も正反対であったからこそ、二人は互いのテリトリーを侵さず、30年以上にわたり一度の口論すらしたことがなかったといいます。
1996年9月、藤子・F・不二雄氏が62歳の若さで急逝した際、葬儀の喪主側席に座った安孫子氏は、涙を流しながら「彼は僕の人生そのものでした。『ドラえもん』を僕が引き継ぐことはできない。あれは藤本君にしか描けない世界だから」と語り、続編執筆のオファーを毅然と固辞しました。この逸話一つをとっても、二人の絆がビジネスライクな損得勘定を超越した魂の共鳴であったことが窺えます。