1930年代初頭の昭和初期の庶民の暮らしは、大正デモクラシーの余波を受けたモダンな洋装文化と伝統的な和装が共存する自由な空気に包まれていました。しかし、1937年に日中戦争が勃発すると状況は一変します。国家総動員体制の構築に伴い、綿や羊毛といった繊維資源は軍需用に最優先で回されることになりました。
1940年(昭和15年)に打ち出された「七・七禁令(贅沢品等製造販売制限規則)」により、高級な絹織物や貴金属、派手な色柄の衣服の製造・販売が全面的に禁止されます。街頭には「贅沢は敵だ」「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ」という標語が張り巡らされ、パーマをかけた女性や華美なスーツを着た男性は公然と非難の対象となりました。国家による統制だけでなく、市民同士が相互に監視し合う空気感が、服装の急激な画一化を決定づけたのです。
さらに1942年には衣料切符制(配給制度)が導入され、お金があっても自由に布地や既製服を買うことができなくなります。都市部では点数切符が配られたものの、戦争後半には実質的な配給物資そのものが底をつき、人々は手持ちの古着を解いて仕立て直すしか選択肢がなくなっていきました。