多くの読者が息を呑み、涙を流すのが物語終盤の展開です。喫茶店での逢瀬を重ね、互いの距離が少しずつ縮まっているように見えた冬子と三塚でしたが、二人の関係は予期せぬ形で決定的な破局を迎えます。三塚には、冬子に明かしていなかった「家庭(既婚者であるという事実)」が存在していたことが示唆され、二人が築きかけていた純粋な対話の空間は脆くも崩れ去ります。
なぜ川上未映子は、二人が結ばれるハッピーエンドを用意しなかったのか。文芸評論の観点から考察すると、本作における三塚は「冬子を救い出してくれる白馬の騎士」ではなく、「冬子が自分自身の人生を生き直すための触媒」として配置されていることが分かります。
三塚という光に焦がれた冬子は、彼を失う過程で自らの過去の傷──典子から受けた屈辱的な体験や、他者を拒絶し続けてきた臆病な自己──と真っ向から向き合うことを余儀なくされます。物語のラスト、冬子は三塚のいない夜の街を一人で歩きます。そこにあるのは絶望ではなく、世界に満ちる光を自分の目で捉え直した一人の自立した人間の姿です。「すべて真夜中の恋人たち」というタイトルが示す通り、人は誰もが孤独という真夜中を抱えており、だからこそ他者の発する微かな光に気づくことができるという、崇高な受容の境地が描かれています。