では、なぜ一般的な熟字訓や音読みを用いず、あえて「刻」を「とき」と読ませたのか。そこには四季刻歌の曲名の由来に直結する、綿飴氏特有の文学的な美学が存在する。
綿飴氏は、四季の移ろいや日本特有の情緒、ノスタルジーを楽曲に昇華させる手腕に定評があり、ファンからは親しみを込めて「季節P」とも呼ばれてきた。その作風を象徴する本作において、「刻」という文字は単なる時間の経過(Time)を示すだけでなく、以下の三重の意味を担っている。
- 巡りゆく時間の単位としての「刻(とき)」:春の桜、夏の陽炎、秋の紅葉、冬の深雪という、不可逆的に移ろう季節の瞬間。
- 記憶を心に彫り込む「刻(きざ)む」という動作:二度と戻らない大切な人との記憶を、魂へ永久に刻みつける意思。
- 刻一刻と変化する人の感情と命の儚さ:永遠ではないからこそ美しく痛切な、時の流れそのものの具現化。
日本語において「刻」を「とき」と読ませる手法は、和歌や近現代の詩歌でも見られる雅な表現形式だ。単に「四季の歌」とするのではなく、「刻(とき)」という重みのある漢字を挟み込むことで、聴き手に対して「時の尊さと残酷さ」を瞬時に意識させる演出が施されている。