本来は力強い前進を意味していたはずの丙午が、なぜ「この年に生まれた女性は気性が荒く、嫁に行けば夫の命を縮める」という禍々しい迷信へと変貌を遂げたのか。その発端を辿ると、江戸時代の文学と都市伝説が絡み合った、極めて作為的な歴史的経緯が浮かび上がってきます。
発端となったのは、天和2年(1682年)の江戸で起きた「本郷の大火」です。この火災で焼け出され、避難先の寺の小姓に恋をした八百屋の娘「お七」が、もう一度会いたい一心で自宅周辺に放火を試みた『八百屋お七の放火事件』がすべての引き金となりました。罪を犯したお七は鈴ヶ森刑場で火刑に処され、この悲劇は瞬く間に江戸市中の話題をさらいました。
この事件を劇作家たちが格好の題材として取り上げ、井原西鶴の浮世草子『好色五人女』や近松門左衛門の浄瑠璃作品によって劇的に脚色されました。その創作の過程において、「芝居を盛り上げる劇的な仕掛け」として、お七が丙午生まれ(寛文6年・1666年)であるという後付けの設定が広く流布されたのです。当時の史料や記録を精査すると、実際の彼女の生まれ年は諸説あり、丙午生まれであった客観的な確証はありません。
さらに江戸時代中期以降、町人文化の成熟とともに「火事を引き起こす激しい星の下にある女性」という誇張されたイメージがひとり歩きを始めました。江戸の街は木造建築が密集しており、火災は都市の壊滅に直結する最大の恐怖でした。「火=暴走する情念=家庭を焼き尽くす」という短絡的なメタファーが結びつけられ、家父長制の枠組みに反発する強い個性を持った女性を抑圧するための口実として「夫を縮める」といった差別的レッテルへ変質していったのです。