本作の持つ切実なトーンを理解するうえで、著者である梶井基次郎の実人生を知ることは不可欠です。梶井は1901年(明治34年)に大阪で生まれ、第三高等学校(京都、現在の京都大学教養部の前身)から東京帝国大学文学部英文科へと進学したエリート青年でした。
しかし、その人生は過酷を極めました。10代の頃から結核の徴候に苦しみ、京都での学生時代には放縦な生活と結核の悪化によって心身ともに追い詰められていきます。当時、抗生物質のストレプトマイシンが存在しない時代において、結核は確実な死を意味する「不治の病」でした。喀血の恐怖、熱に浮かされる夜、経済的な破綻、そして学業の中断。親友である中谷孝雄や外村繁、三好達治らと同人誌『青空』を創刊し、その第1号に『檸檬』を発表した1925年当時、基次郎は文字通り命を削りながら原稿用紙に向かっていました。
病状は好転することなく、療養のために滞在した伊豆・湯ヶ島での川端康成らとの交流を経て、最後は大阪阿倍野の実家へ戻り、1932年(昭和7年)3月24日に肺結核のためわずか31歳で息を引き取りました。文壇で広く評価されたのは死の直前から没後にかけてのことであり、生前は無名に近い存在でした。死と隣り合わせだった梶井の生々しい肉体感覚があったからこそ、『檸檬』における「手のひらの冷たさ」や「生の回復」という描写が、時代を超えたリアリティを放ち続けています。