Q1:野村克也が南海を電撃解任された決定的な引き金は何でしたか?
A1:最大の要因は、後に妻となる沙知代氏によるチーム現場への過度な介入と、それに伴う「公私混同」批判です。選手会長だった門田博光氏ら主力選手との対立が激化し、さらに鶴岡一人元監督を中心とする球団OBグループとの確執が重なった結果、1977年9月に川勝傳オーナーから解任を通告されました。
Q2:南海ホークスの背番号「19」はなぜ永久欠番にならなかったのですか?
A2:野村氏が不名誉な電撃解任という形で球団を去ったため、球団側が功績を公式に永久欠番として指定する空気が完全に失われてしまったためです。その後、山内孝徳投手や池田親興投手らに受け継がれ、球団がダイエー、ソフトバンクへと変遷する中でも永久欠番化は見送られ続けました。
Q3:門田博光との関係はその後どうなったのでしょうか?
A3:南海時代終盤には会話も交わさないほど冷え切っていた両者ですが、確執の根本は打撃への誇りとプロ意識の衝突でした。門田氏は後年、「打撃理論を教えてくれたのは間違いなく野村さん。打者としての野村克也は唯一無二の存在だった」と公の場で敬意を表しており、晩年には互いの功績を認め合う和解の境地に至っています。