1977年、日本のエンターテインメント界は巨大な転換期を迎えていました。グループ・サウンズ「ザ・タイガース」や「PYG」を経てソロシンガーとしての地位を固めていた沢田研二は、すでにトップスターとしての輝きを放っていましたが、チームは「決定的なアンセム」を求めてさらなる高みを目指していました。
そこでタッグを組んだのが、作詞家の阿久悠と作曲家の大野克夫です。大野克夫が書き上げたメロディは、哀愁を帯びたピアノのリフレインから始まり、ブラスセクションとリズム隊が疾走する重厚なロックンロール・バラードでした。当時の歌謡曲の枠組みを軽々と飛び越える先鋭的なアレンジは、アレンジャー・船山基紀の卓越した手腕によるものです。
阿久悠は自著や当時の回想録において、「沢田研二という希代の表現者を得て、既成概念を壊す冒険ができた」と述べています。女性上位の時代が胎動し始めていた1970年代後半の空気感を鋭利に捉え、あえて時代に抗うような「不器用で身勝手な男の美学」をぶつけることで、前代未聞のポップス革命が成就しました。