静岡市出身の本名・根本美鶴代として生を受けた彼女が、増田惠子(ケイ)と共に「ピンク・レディー」として『ペッパー警部』でデビューしたのは1976年8月のことでした。そこから1981年3月31日の後楽園球場での解散コンサートまでのわずか4年7ヶ月の活動期間は、日本のエンタメ史において空前絶後の社会現象を巻き起こしました。
当時ささやかれた「不仲による解散」という噂は、実態とは大きくかけ離れていました。解散の真の理由は、ブームの狂騒によって個人の尊厳や人間らしい生活が奪われ、アーティストとしての表現の限界を迎えたことにあります。アメリカ進出への挑戦とその後の過酷なプロモーションを経て、ふたりは「これ以上、大人たちの敷いたレールで擦り切れるわけにはいかない」と決断し、後楽園球場でピリオドを打ちました。
現在における相方・ケイ(増田惠子)との関係は極めて良好です。解散から数十年を経て行われた複数回の再結成コンサートでも息の合ったパフォーマンスを見せ、メディアでも「喧嘩をしたことが一度もない」「姉妹でも親友でもない、命を預け合った唯一無二の戦友」と語り合っています。お互いのソロ活動をリスペクトし合い、節目ごとに連絡を取り合う関係性は、激動の時代を生き抜いたふたりにしか理解できない強固な絆で結ばれています。