未唯Mieの現在と奇跡の美貌に迫る!年齢・食生活と私生活の真実

未唯Mieの現在と奇跡の美貌に迫る!年齢・食生活と私生活の真実

未唯Mieの現在と奇跡の美貌に迫る!年齢・食生活と私生活の真実にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

静岡市出身の本名・根本美鶴代として生を受けた彼女が、増田惠子(ケイ)と共に「ピンク・レディー」として『ペッパー警部』でデビューしたのは1976年8月のことでした。そこから1981年3月31日の後楽園球場での解散コンサートまでのわずか4年7ヶ月の活動期間は、日本のエンタメ史において空前絶後の社会現象を巻き起こしました。

時代・フェーズ活動内容・主な実績当時の状況・環境編集部の見解・評価1976〜1981年
(ピンク・レディー時代)『UFO』『サウスポー』等ミリオン連発、全米進出、第20回日本レコード大賞受賞睡眠時間1時間未満、極限の過密労働、過度な商業ブームへの消費日本のポップカルチャーの頂点を極めた伝説期。心身の限界が解散の引き金に。1981〜1990年代
(ソロ転向・自立期)シングル『NEVER』大ヒット(ドラマ『不良少女とよばれて』主題歌)、舞台・ミュージカル進出「MIE」名義でアーティスト路線へ転換。個人事務所設立と経営の試練アイドル像を脱却し実力派ボーカリストとしての地位を確立。同時に経営難に直面。2000年代〜現在
(成熟と円熟期)『PinkLady Night』定期開催、絵本出版、期間限定再結成ツアーの成功ジャズ・フュージョン界のトップミュージシャンとの共演、エイジレスな発信過去の看板に頼らず、一人のシンガーとして完成された表現領域に到達。

当時ささやかれた「不仲による解散」という噂は、実態とは大きくかけ離れていました。解散の真の理由は、ブームの狂騒によって個人の尊厳や人間らしい生活が奪われ、アーティストとしての表現の限界を迎えたことにあります。アメリカ進出への挑戦とその後の過酷なプロモーションを経て、ふたりは「これ以上、大人たちの敷いたレールで擦り切れるわけにはいかない」と決断し、後楽園球場でピリオドを打ちました。

現在における相方・ケイ(増田惠子)との関係は極めて良好です。解散から数十年を経て行われた複数回の再結成コンサートでも息の合ったパフォーマンスを見せ、メディアでも「喧嘩をしたことが一度もない」「姉妹でも親友でもない、命を預け合った唯一無二の戦友」と語り合っています。お互いのソロ活動をリスペクトし合い、節目ごとに連絡を取り合う関係性は、激動の時代を生き抜いたふたりにしか理解できない強固な絆で結ばれています。

佐々木 一輝
著者

佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。