1977年、イギリスの音楽シーンは激変の渦中にありました。セックス・ピストルズに代表されるパンク・ロックの波が押し寄せ、技巧的で重厚なプログレッシブ・ロックや大物スタジアム・バンドは「時代遅れの恐竜」と罵倒されていた時代です。そうした逆風のなか、ロンドンのウェセックス・スタジオで制作されたクイーンの6thアルバム『世界に捧ぐ』(News of the World)の先行シングルとして放たれたのが、『伝説のチャンピオン』でした。
スタジオが隣同士だったセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスがフレディに向かって「まだバレエを大衆に広めようとしてるのか?」と挑発し、フレディが「ああ、サイモン・フェロシャス君、精一杯やってるよ」と軽やかに切り返したという逸話は有名ですが、メディアの反応は冷酷を極めました。当時の英大手音楽誌『NME』や『メロディ・メーカー』は、「自らをチャンピオンと宣言する恥知らずなエゴティズム」「敗者を平然と見捨てる冷血な拝金主義ロック」と手厳しく糾弾したのです。
批判の最大の引き金となったのは、サビで高らかに歌い上げられる「No time for losers(敗者に構っている暇などない)」という強烈なフレーズでした。パンクが掲げる「持たざる者の怒り」が支持を集めていたロンドンにおいて、すでに世界的スターダムに駆け上がっていたクイーンが「我らは勝者だ」と歌う姿は、メディアの目には特権階級の傲慢そのものに映ったのです。
だが、フレディ本人の意図は真逆の場所にありました。当時のテレビインタビューや関係者の証言において、フレディは記者からの意地悪な質問に対し、次のように語っています。
「私はサッカーの試合を思い浮かべながらこの曲を書いたんだ。観客全員が一つになって参加できる曲、スタジアムの誰もが肩を組んで合唱できるアンセムを作りたかった。これは私たちが勝者だと誇示するための曲ではない。会場にいる全員が、それぞれの人生のチャンピオンなんだよ」
ブライアン・メイが観客との足踏みと手拍子を意図して『ウィ・ウィル・ロック・ユー』を作曲したのとまったく同じ文脈で、フレディは「ステージと客席の境界線を完全に取り払うための歌」として『伝説のチャンピオン』を生み落としたのです。