望遠鏡や双眼鏡で月を眺めた際、黒っぽく見える広大な平原を天文学では「月の海(ラテン語でMare、複数形はMaria)」と呼びます。最大の広がりを持つ領域には、唯一「大洋(Oceanus)」の冠が与えられ、その広さは地球の地中海を大きく上回る約400万平方キロメートルに達する「嵐の大洋」として知られています。
この命名の発端は、1609年に自作の望遠鏡を月へ向けたガリレオ・ガリレイに遡ります。ガリレオは著書『星界の報告(Sidereus Nuncius)』(1610年刊)において、月面が完全な球体ではなく地球と同様に凹凸に満ちていることを発見しました。その際、光をあまり反射しない平坦で暗い領域を「地球の海のように水で満たされた場所」と推測したのです。
決定的な命名体系を築いたのは、イタリアのイエズス会司祭であり天文学者のジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリと、物理学者フランチェスコ・マリア・グリマルディでした。彼らが1651年に発表した月面地図(『新アルマゲスト』所収)において、暗い低地にラテン語の詩的な名称が大量に与えられました。
彼らは、月が地球の気象や人間に影響を及ぼすという当時の占星術的・気象学的な直感を取り入れ、北西部の荒天に関連づけられる領域を「嵐の大洋」や「雨の海」、穏やかな領域を「晴れの海」や「静かの海」と名付けました。後の科学観測によって、これらの「海」は水ではなく、約30億〜39億年前に巨大隕石の衝突盆地へ噴出した玄武岩質の黒い溶岩が冷えて固まった平原であることが証明されました。しかし、リッチョーリたちの美しい命名体系は天文学の共通言語として定着し、現在も正式な学術名称として受け継がれています。