山内溥の歩みは、昭和から平成にかけての日本産業史における最も劇的な変革劇の一つです。1927年(昭和2年)に京都で生まれた山内は、早稲田大学法学部在学中の1949年、祖父である2代目社長・山内積良の急病に伴い、わずか21歳で3代目社長に就任しました。
就任にあたって山内が提示した条件は、社内に残る親族や古参幹部全員の解任でした。若輩ゆえの侮りを排し、自身が全責任を負う専制体制を構築するため、血縁を断ち切る冷徹な決断を下したのです。プラスチック製トランプの国内初製造やディズニーキャラクターを冠したトランプの爆発的ヒットで業績を急拡大させ、1962年には東証二部上場を果たしました。
しかし、成長の過程は平坦ではありませんでした。高度経済成長期、玩具需要の季節変動リスクを分散すべく、タクシー事業(ダイヤタクシー)、インスタントライス、さらにはホテル事業などへ多角化を進めたものの、ことごとく撤退に追い込まれます。多額の負債を抱え、倒産の危機に直面した山内が辿り着いた境地が、「他社と同じ土俵で競わない」「娯楽に徹する」という独創の哲学でした。
工場の生産ラインで暇つぶしに自作の伸縮マジックハンドで遊んでいた若き技術者・横井軍平の才能を即座に見出し、1966年に商品化した「ウルトラハンド」が120万個を超えるメガヒットを記録。これを契機に任天堂は近代玩具メーカーへと舵を切り、のちの電子ゲーム事業へと繋がる礎を築き上げました。