物語の結末において、4歳の節子は栄養失調に伴う急性腸炎で横穴の中で衰弱死し、14歳の清太は1945年9月21日夜、省線三ノ宮駅の構内で誰にも看取られることなく餓死します。映画の冒頭と末尾で描かれるこの凄惨な最期を、二人が飛び出した西宮の叔母は把握していたのでしょうか。
結論から言えば、原作小説『火垂るの墓』および映画本編のいずれにも、おばさんが清太と節子の死を知って悲嘆に暮れたり、己の冷遇を後悔したりする場面は描かれていません。清太の遺体は駅員によって「またボロか」と無造作に扱われ、持っていたドロップの缶(節子の骨片)は駅前の焼け野原に放り投げられます。その後、清太の遺骨は市の手で荼毘に付され、無縁仏として寺に納められたに過ぎません。
当時、西宮市満池谷にあったおばさんの自宅から三ノ宮駅までは約15キロメートル離れており、空襲で電話網や交通インフラが壊滅した状況下では、家出した遠縁の少年がどこの路上で息絶えたかなど知る術もありませんでした。仮に終戦後の混乱が落ち着いた後、役場や警察の記録照会などで二人の死を風の噂に耳にしたとしても、おばさんが涙を流して悔やんだ可能性は極めて低いと考えられます。なぜなら彼女の主観においては、「引き止めたにもかかわらず、勝手に出ていった子どもたち」であり、「激動の敗戦期を生き延びるために、自分自身の家庭を守ることで手一杯だった」からです。