人気キャスターとしての地位を確立していた蓮舫氏が、なぜリスクの大きい政界へと舵を切ったのか。その転換点には、「出産・子育て」と「取材現場での無力感」という2つの決定的な契機がありました。
北京大学留学中に双子(長男・長女)を出産した蓮舫氏は、帰国後に子育てと仕事を両立させる中で、日本の保育環境や教育行政、社会保障制度の不備に強い問題意識を抱くようになります。当時の手記や各種メディアのインタビューにおいて、彼女は次のように語っています。
「キャスターとして現場の矛盾や理不尽をどれだけ言葉で伝えても、法律や制度そのものを変えなければ、子どもたちの未来を本当の意味で救うことはできない」
言葉で伝える「傍観者・報道者」から、制度を動かす「当事者・立法者」へ。当時、民主党を率いていた手塚仁雄氏らからの熱心な出馬要請を受け、2004年の第20回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬。圧倒的な知名度と明確なメッセージ力で約92万票を獲得し、トップ当選を果たしました。