池田家の歴史の中で、教団内外に最も大きな衝撃を与えた出来事が、1984年10月3日の次男・池田城久(しろひさ)氏の急逝でした。当時わずか29歳という若さでした。
城久氏は早稲田大学法学部を卒業後、創価学会青年部の幹部として頭角を現し、鋭い弁舌と父親譲りの求心力から「次期後継者の筆頭」と嘱望されていました。それだけに、突然の死に対して週刊誌やインターネット上では「権力闘争による暗殺説」「不審死」といった根拠のない陰謀論が長年囁かれることとなりました。
しかし、当時の東京女子医科大学病院の公式記録および教団側の発表によると、正式な死因は「胃穿孔(いせんこう)」に伴う急性腹膜炎です。以前から胃潰瘍を患っていた城久氏は多忙による過労が重なり、胃壁に穴が開いたことで容体が急変。緊急手術が行われたものの、敗血症性ショックを併発して帰らぬ人となりました。
池田大作氏は自著や随筆の中で、次男を失った痛恨の悲しみを率直に綴っています。「子に先立たれる親の悲哀」を生々しく告白したその記述は、絶対的な宗教指導者としてではなく、ひとりの父親としての生身の苦悩を浮き彫りにしました。客観的な医学データと当時の証言を精査する限り、陰謀論の余地はなく、過労と急病による悲劇であったことが明白です。