1983年12月、安岡正篤が85歳で逝去。その直後、安岡家側は細木数子を相手取り、東京地方裁判所へ婚姻無効の調停・訴訟を提起しました。世間を騒然とさせた「昭和の黒幕・婚姻無効裁判」の幕開けです。
裁判における最大の争点は、婚姻届提出時における「安岡正篤本人の意思能力の有無」でした。家族側は、当時の主治医による診断書、カルテ、看護記録を証拠として提出。そこには安岡が重度の脳血管性認知症状態にあり、婚姻という重大な法律行為の意味を理解できていなかった事実が詳細に記録されていました。
法廷闘争が泥沼化する中、1984年、東京地方裁判所において事実上の和解が成立。婚姻届は法的に「無効」として取り下げられ、戸籍上からも除籍される結末を迎えました。細木数子側が身を引く形となった決定打は、医学的証拠に基づく意思能力欠如の立証と、政財界の重鎮たちによる水面下の調停工作であったと伝えられています。