1972年2月、森恒夫は山岳ベースから下山したところを逮捕された。その後、残されたメンバーが引き起こしたのが、あの「あさま山荘事件」である。人質を取り、鉄球と銃弾が飛び交う攻防戦を、森は留置場のテレビで見届けることとなった。
そして1973年1月1日、東京拘置所の独房で森は自ら命を絶つ。享年25。首を吊った状態の彼が遺した手記には、自己の罪に対する苦悩と、自己保身に走ったことへの恥辱が滲んでいたとされる。なぜ彼は裁判の場で真実を語り尽くすことなく、死を選んだのか。昭和史最大のタブーとされたこの自死は、革命の看板を失い、ただの殺人犯として生きる現実に耐えられなかった男の最後の逃避だったのか。未だ議論は尽きない。